麻枝准 その1

麻枝准メロディー“麻枝節”研究会
taka_muscleさん。
麻枝さんの音楽について検討している興味深いブログです。
メロディーやコード進行の独自性など音楽論に興味がある方によいと思います。


2007/6/30
麻枝准の上下感覚
疏水太郎さん。
key作品と食べ物というのはきっても切り離せないのはよく知られていることと思いますが、食べる場所についての視点が興味深かったです。

なぜ舞、真琴、浩平、往人といった、ここであげられたような麻枝キャラは地べたで食べるのが自然に感じるのか・・・
逆にいえば、長森とCLANNAD以降のキャラクターはそうではないということ。あ、鈴は前者側かな。
例えば、地に足のついていない現実感の乏しいキャラクターほど地面に近いところで食事をとる、とか。
いろいろ考えてみるとおもしろそうです。

それは後半の論点でもある上下感覚ともつながるものですね。
渚と朋也が坂の上の高校を眺めるとき。校舎を見上げるとき。
そこに象徴されているものは何か。
地下へのこだわりは何を指すのか。

この辺りの論点はAngelBeats!で映像化されてからかなり検討されていた気がしますが、テキスト上でも意識されているということが麻枝さんの文章の特徴であるともいえそうですね。


2010/5/22
『Angel Beats!』における再帰性――京都アニメーション・Key・麻枝准
反=アニメ批評さんのAngelbeats!と他作品の類似点まとめ。

似ていることについては何の反論の余地もないですよね。
反アニさんはMAD的と書かれていますが、AngelBeats!は麻枝さんの思うおもしろいもの、売れているもののつめあわせ作品。

なぜこうなったし、っていう理由はいろいろあるとは思いますが、その原因の一つは「麻枝さんは自分の好きなように書いたものは評価されない、ということに自覚的であるところ」ではないかと感じていました。
ONEでの評価、そして智代アフターでの評価。
麻枝信者からすれば、それらのよいところも疑いのないものであると思うのですが、一般受けしたかといわれれば麻枝さん独自の感性はむしろ否定されるものであったようです。
CLANNADにおける渚の復活や、リトバスでの全員生還エンドも同じく「(求められているから)つけ加えなければいけなかったもの」だと思うと、そこには葛藤があったことと思います。

そんな麻枝さんだからこそ、売れているものよいものを取り入れたいということにはすごく熱心ですよね。
ガルデモの曲だって、これが麻枝准の曲なの?っていうくらいにはポップになっていましたし。
アニメである、ということを意識すればこそ、人気のあるアニメの要素を取り入れようと思い、こうなったんだろうなというのは容易に想像できます。
それはありがちな失敗であるともいえますが。

もちろんAngelBeats!という作品には麻枝さんらしさもたくさんつめこまれていると思います。
それらがうまく交じり合わずに要素だけが多くなってしまったということもあったかなと。
うまく構成しなおせばマクロスFのようにはなりえたかもしれませんが、河森監督のようなバランス感覚でもって作品をまとめるのも相当難しいことでしょうしね。

麻枝さん好きとしては周囲の評価にこだわらずとも自身の個性を活かした作品をこれからもつくってほしいと思いますが、売れない、もしくは批判されるんだろうと思うと手放しで続けてください、とはとてもいえないです。
これまでもkey作品において麻枝さん自身の自覚と周囲の評価がずれているところ・・・つまり、key作品において広くよいと言われているものは麻枝シナリオではなく、麻枝演出ではないかということが共有されていかないことが不思議だったので、アニメで多くの人の目にふれ、それが明確になっていったことは、むしろよかった面もあるのかなと個人的には思います。

その上で「麻枝准のよさ」というものを再評価していく流れが今後あったらなお嬉しいですね。
確実に自分のように「麻枝准のシナリオ」にひかれている人間も数多くいるわけなので。
例えば、AngelBeats!でいうならゆりメインで、音無とゆりがいろいろな体験や想いを共有しながらも最終的には結ばれないような物語がみたいんですよ。
一般受けするかって言われればしないとわかっていても。
それが麻枝准らしさだと広く受け入れられた上で評価される時代はこないんですかね?