岡田麿里 その1

2009/9/25
『とらドラ!』─コミュニケーションの桎梏と希望のはざまで─その1
『とらドラ!』─コミュニケーションの桎梏と希望のはざまで─その2
『とらドラ!』─コミュニケーションの桎梏と希望のはざまで─その3
宮田智史さん
とらドラ!における「ゆるやかな擬似共同体」と「理解しあうことの断念」を中心とした論考。

この文章の結びの

<特別な誰か>やただひとつの関係からの承認を期待するのではない、キャラクターたちの成長と変化。それは、はじまりがあって、終わりがあって、またはじまりが来るような、そんな関係性のモデルともいえるし、特定の他者に対して、自分がまったくの無力であることが、むしろ救いであるような、そんなポジティブなのかネガティブなのか簡単には分からないモデルでもある。

が、岡田さんの描く世界の特徴であるともいえるのかもしれません。
実乃梨や亜美以外にもttの乃絵の描き方なんかはわかりやすいかもしれませんね。
あの花のじんたんやゆきあつ、あなる、つるこもそうした面が描かれていました。

この「断念」を成長とみるか停滞とみるか、とらえ方が人によって違うので、議論がずれることが多いのかもしれません。
特定の他者と接することによって初めて他者にたいして無力である自分を知りそれを受け入れること、は自分の無力さを知ることでもあって、とても大切なことなのですよね。
ただ、その先の世界までは物語の中で描かれないのでわかりにくいのかもしれません。目に見える形ではなく、内面的な変化ですしね。
岡田麿里脚本は成長物語か、という問いかけの答えも、成長というものをいかにとらえるかによって違うのだと思います。


2011/12/8
自分なりの岡田麿里論みたいなものと、異色の岡田作品としての「スケッチブック〜full color'S〜」
tunderealrovskiさん

申し訳ないことにスケッチブックをみたことがないのですが、ここで「成長」と書かれているのも他者とのふれあいの中で生まれる主人公の内面的な変化の話なのだろうと思いました。
表面的な部分の見せ方にこそ違いはあれ、テーマとして一貫しているということがみえるのかなと。


2011/3/5
『放浪息子』と放浪するニワトリ――岡田麿里試論
反=アニメ批評さん
岡田作品のもう一つの特徴である性描写について

実際にはもっと直接的な表現で岡田さんから提示されているものを象徴的な映像に置き換えていく作業をしているらしい・・・というのが様々な媒体でのインタビューの所々に窺えておもしろいですよね。
結果的に作品としてはその方がおもしろくなっているような気がします。
岡田さんと監督のせめぎあいが各作品で行われてるのでしょうね・・・
岡田作品といえば女装少年へのこだわりも気になるところです(ただの好みかもしれないですけど)。

なぜ物語の中で性描写を描く必要があるのか・・・
自分の中でもまだまとまらないところではありますが、ただ衝撃的であるからという理由だけではなく、思春期の子の物語には自分の性と向き合うことが切っても切り離せない自然なものである(記述しないのが不自然である)ととらえているのかもしれないですね。